1、は じ め に

  なべて、墓をつくるには、かなり大きな出費を覚悟しなければならない。高い買物だけに、人は、よい墓を建てたいと 思う。
  また、墓には、霊的神秘性がつきまとう。祟(タタ)られては大変だ。それだけに、人は、間違いのない・正しい墓をつくりたいと念願する。
 はたして、よい・間違いのない・正しい「墓づくり」はできるのであろうか。
 残念なことに、墓づくりには、1+ 1 = 2 というように、ただ一つ絶対に正しい方法というものはない。
 しかしながら、これから墓をつくろうとする人は、この事実に目を向けようとせず、執拗(シツヨウ)に唯一 (ユイイツ) 絶対正しい「墓のつくり方」を追い求めようとする。
 ここに、自分自身にだまされ、そして他人にだまされる「墓づくり」の状況が生まれる。

 誰しも自分が身につけている知識や常識は正しいと思っている。ところが、お墓の常識は、必ずしも正しいとは限らない。したがって、自分のもつお墓の常識を信じてお墓をつくる人は、まず、自分自身にだまされることになる。

 安易に他人に頼る人は、格好のカモにされるだけだ。言葉たくみに説法(セッポウ)されて、たとえ満足する結果を手に入れたとしても、内容的・金銭的に他人にだまされていることにかわりはない。

 それでは、「墓づくり」において、だまされないということは、どういうことなのか。

 それは、自分自身の判断で「墓のつくり方」を決定し、適正な価格で石工事を完成させることだ。
 自分で判断するには、墓に対する固定観念を改めなければならない。

 あなたは、次の言葉を理解できるであろうか。

 「墓は、仏教の専売特許ではない。ましてや墓相 (ボソウ) 学のものでもない。墓は、、先祖信仰という民間信仰の産物であり、死者を含めた家族の人間関係を反映したものである」

 お分かりにならないのなら、まだお墓の固定観念にしばられている証拠。だまされながらお墓をつくることになる。
 これが分かれは゛、だまされないで、主体的で知的なお墓をつくることができる。